「善光寺参り絵解き図」
2014年3月31日 完成
●絵師として描写に込めた想い
長野郷土史研究会会長の小林一郎氏、副会長の小林玲子氏との出会いは平成23年。私は同年、長野市の武井神社へ大絵馬「御柱祭行列図」を制作・奉納し、制作中には、歴史的観点でお二人から多くのアドバイスをいただきました。その後、「善光寺参り絵解き図」の制作を含めたご相談をいただいたのは、平成24年の春でした。当時の私は、「絵解き」に関しての知識が浅く、実際に絵解きを聞いたこともありませんでした。このお話をいただいた時、武井神社の大絵馬制作とは違い、前例のない、全く新しい絵図を一から創り上げていくという面で、『私の画力で、果たしてこのような絵図を描くことが出来るだろうか?』と自問自答した事を覚えています。それからしばらくして、小林玲子氏の絵解きを聞く機会があり、その独特の魅力に一瞬にして引き込まれ、絵解き用の絵図をこの手で描いてみたいと思うようになりました。
平成25年2月、「善光寺参り絵解き図制作プロジェクト」が発足し、月に一度の会合を重ね、何度も意見を交わしながら内容を吟味しました。そして、実際に善光寺境内や門前町周辺を歩くなど、多くの時間を制作への準備に費やしました。地域と密接な絵解きの文化を、これから更に普及させたいというメンバーの思いを意識しながら、長期にわたる制作を始めました。
制作開始当初、大阪府藤井市の小山善光寺にある「善光寺参詣曼陀羅」を参考にし、本堂が完成した江戸時代中期をイメージした絵図にしようと皆で決めました。原寸大原画を作成する為に使用する地図や下絵を何度も作り、全体のバランスや仕上がりをイメージ。その際、関連性のある絵図を隈なく調べ、その細かい描写や筆使いを自分のものにしようと時間をかけて研究しました。また、絵解き図の時代設定は江戸時代中期ですが、絵解きされる百話の物語の時代背景は様々で、その登場人物の容姿や色をどのようにまとめるかを大変悩みました。
仕上がりを大きく左右するのは背景の色だと私は思っています。今回の背景色は、今まで私が描いてきた絵画の背景とは全く異なる仕上がりにしました。キャンバス上で何度も色を重ね続け、微妙な色味を見ながら、納得いくまで色を追求しました。
今までと大きく異なったのは背景の色だけではありませんでした。描く時の筆の持ち方や力の入れ加減、また、使用する筆先の手入れ等、今までにない技術的な可能性を多々見出すことが出来たと感じています。
制作中、子どもの頃に父と一緒に訪れた善光寺周辺のお祭りの事を何度も思い出しました。また、一人で善光寺境内へ行き、本堂を写生している自分を思い出したこともありました。建物を描きながら、その場所へ行った思い出と度々重なり、小さい頃の自分と今の自分がつながって不思議な気持ちになりました。自分が生まれ育った地域である善光寺界隈を描くことにより、制作前に比べて、今の風景が全く違う景色として、美しく鮮明に見えてくるようになりました。絵解き図を制作する過程の中で、地域のことをより深く知り、そして歴史の重みを感じながら、身を引き締めて過ごすことが出来たように思います。
私は、毎朝絵解き図の前に立ち、そして筆を持ち、必ず一回、大きく深呼吸をしてから描き始めていました。
寺社仏閣で自然と手を合わせるように、私にとってのこの一瞬は毎日とても厳かで特別な瞬間でした。このような毎日の積み重ねがあったからこそ、絵解き図に真っすぐ向き合い、落ち着いた思いで長期に亘る制作を続ける事が出来たのだと思います。
絵解き図制作最終日の朝、私は様々な想いを巡らせながら最後の一筆を下ろしました。
一年以上に亘って制作し続けてきた「善光寺参り絵解き図」。この一年以上、どこにいても、どんな時でも、常に頭のどこかで絵解き図のことを考えながら過ごしていました。絵師としての制作は、私にとって大きな刺激と経験になったと強く感じています。絵解き図を描き終えた今、今日まで継承されてきた絵解きの文化を、これから私たちの手によって伝え続けていかなければいけないと思っています。この絵解き図は『絵解き』あってこそ生きてくるものです。絵解きを聞き終えた後に、お近くでご覧いただいても楽しめるよう、細部までに想いを込めて描き上げました。
より多くの方々に、是非、絵解きと共にご覧いただきたいと願っています。
絵師 OZ/尾頭/山口佳祐